2011年1月10日月曜日

廊下アートセンター通信 転載 その1

昨年10月廊下アートセンターを終えた後でもプロジェクトについて完全には捉えきれていませんでした。

でも、中平先生や中学生が廊下アートセンターを自由に利用してもらっているみたいで、やはりこれはとても嬉れしい。

自分では学校の中に新しい『出来ごと』を作るプロジェクトと思って始めた。

けど、終わってみると、『施設』としての『カフェ機能をもつ空間の廊下アートセンター』と、『廊下に自由なアートセンターがある』という『システム』の両方を作ったことになるのかなと考えています。


という様に、自分の中で一区切りついたので、とがびアートプロジェクトのブログに載せた文章を自分のブログに転載します。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




『廊下アートセンター in とがび』 通信2

『廊下アートセンター in とがび』の住中です。


明日ついに廊下アートセンターオープンです。
夏休み明けにオープンする予定が一週間ほど遅れました。

ただ、途中経過を見せれたことと、その変化に対する反応は面白かった。

カウンターができて、看板ができて、それぞれの日で反応が違う。
今日はその看板の完成。
「ろ・う・か・あーと・せんたー。ああ、廊下かぁ」と読み上げる子多数。


いつも、中をじっと見ていた女の子と今日初めて会話をする。
「コーヒーくれるんだよね」
「わたしコーヒーはブラックなんだ。もしミルク入れるなら砂糖を入れる」
そんな小さな会話がうれしかった。

カウンターの赤色も塗り終わり、今日の最後の仕上げは床磨き。



とがびOBの梅ちゃんにも手伝ってもらって、床をきれいにする。

洗剤なしで汚れを落とすメラミンスポンジはすごい。
中学校の廊下の十年ほどの黒ずみがすぐ落ちる。


帰る前、合唱部の子に呼び止められ「住吉さん、がんばってください」と励まされる。
名前間違ってるけどとてもうれしい。



明日は朝から機材を整えて、放課後にはオープン。
まだ、手を入れたいところはあるけど、とにかく廊下アートセンター始ります!!


<中学生今日の一言>

「何ここすげぇ、カフェ的な空間じゃねぇ」 (体育系男子生徒)

『カフェ』って言葉、中学生にもしっかり浸透してる。
しかも『カフェ的』って言い方がかわいい。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



『廊下アートセンター in とがび』 通信3


廊下アートセンターの住中です。

今日の昼休みから廊下アートセンターオープンしましたー!!

想定より遅れること一週間。
不審感と好奇心をもって通り過ぎる生徒たち。

いったいどうなるかとても不安でしたが、蓋を開けたらみごとな大繁盛!!

最悪のケースは、遠巻きに見て誰も入ってこない中一人立っていることを想定してました。

とりあえずカフェとして認識される。コーヒー、ココア大人気。
中学生は無料という言葉に弱いのか、20人弱に占拠される。

「家で飲んでるコーヒーがここで飲めるなんて幸せー。」女子生徒
カフェ機能をつけて本当によかった。

ちょっと話しただけでもニコ動の生放送している生徒発見、すごいぞ今の中学生。
美術の課題が早く終わった生徒の一部がスケッチに来る。

白と線だけの外観に結構てこずってた。

スケッチに来た生徒を自分がスケッチ。
久しぶりに絵を描いた。


休憩時間前にココア5杯の予約。人が集まり一瞬30人超える

「これ、学校側に止められそう。」そう思い、授業にだけは間に合うようにしっかり追い出す。


想像してた以上に体育会系男子に人気。。


先生も二人コーヒーを飲みにきてくれた。

放課後は部活があるので、運動部は少なく、美術部中心。
廊下アートセンターでのいくつかのイベント案があがる。

カフェだけに飲食ネタ多し。
友人のアーティスト、EAT&ART TAROを呼んでイベントを組みたいと思う。


生徒下校後とがびのOBで京都造形芸術大学アートプロデュース学科に通う小林くんも来て、しきりに面白がってくれた。
とがび2010が終わった後すぐじゃなくてもいいから、廊下アートセンターにOBの小林くんがレジデンスしたら面白いなーと本気で思う。



<中学生今日の一言>

「中学校にカフェってありえねぇ」と男子生徒。
それが狙いです。ありがとう。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


『廊下アートセンター in とがび』 通信4

廊下アートセンターの住中です。


廊下アートセンターの日常が周りはじまりました。
大人気の一日目を終えたところで、コーヒー等の提供に対する学校側からの待ったがかかりました。

『粗茶』ならよいとのこと。

なので、廊下アートセンターでは数種類のお茶の提供に。

ここで、なせ廊下アートセンターで無料のカフェ機能を持たせたのかについて。

とがびに向けての施設である廊下アートセンターですが、とがびを一回も見たことのない三年生も存在します。
そんな生徒と関係をつくるのに、とがび関係の外部の人と関わることに慣れてない生徒にとっては、話すきっかけがありません。

今の学校や部活動に満足のいっている生徒は、今のまま部活などで自分を鍛え素直に育ってほしいと思っています。
しかし、ちょっとモヤモヤした生徒に対して、自分はなにかできないものかと思っていました。


「ねえ、ここで何してるの?」と聞ける元気な活発な生徒のためでなく、立ち尽くして、どうしてよいかわからない生徒のために、カフェ機能をつけました。

「ここで何か飲めるのですか?」というのは、かなり話しやすい一言だからです。
飲み物は関係を始める第一歩。


今は、飲み物をもらえるということが一人走りしていますが、普通の生徒にはだんだん飽きてきました。今でさえ初日に元気だった体育会系の男子は減りました。

しかし、廊下アートセンターに何か惹かれている生徒は学年、性別、部活を超えて集まり始めてます。

そんな子たちと何かできたら。
そう思っています。







そんな中、すでに感動的だったのが、美術部の一年生達が廊下アートセンターの誕生を祝うケーキを作ってきてくれました!!


自分たちのトガビに出すための作品の素材のシリコンを使用して、内緒で二日かけて制作!!

on goingで悩みながら活動をしてる中、なんかもう、泣き出しそうになりながら、必死で写真を撮らせてもらいました。






また、廊下アートセンターでは、描いたイラストや、やりたいことは随時壁に張り出します。

そんな中、ある男子生徒同士の関係から、少し違和感を感じたので次の設備を増設
増設。

壁に張った白いキャンバスに自由に描いてよい場をつくりました。
その横にこのテキストを。


---------------------------

『Freedom paint』


みんなが自由な世界ってなんだろう。

究極に言うと、君が僕を殺す自由があって、僕が君を殺す自由もある。
君が僕を殺したとして、僕の友人が君に復讐する自由もある。


みんなが自由ってのは、案外面倒で大変だ。


それなら、自分だけが自由だと楽だよね。
でも、それは王様。誰一人友達のいない王様。



さて、この壁画には赤ペンと黒ペンを使って、自由に絵を描こう。

つまり他人の絵を侵食してよいし、破壊してよい。
そして破壊される自由を楽しもう!


--------------------------
ということで、一般的に他人の作品に手を出し合うことを前提とした壁画をはじめました。

自分の自由が、他者の自由を浸食する可能性があり、そして浸食されること。

そんなことをテーマとした壁画です。



廊下アートセンターが終わるまでこの絵はレイヤーを重ねていき、生徒の今の何かが積層されるのでは、と思ってます。




<中学生今日の一言>

「あー、彼氏が欲しい。」

えっ、「○○くんが好き」という、○○くんが欲しいでなく、彼氏という存在が欲しいの?






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


『廊下アートセンター in とがび』 通信5 Souko Gallery 開設 !!



廊下アートセンターの住中です。


廊下アートセンター内にある、階段下にあった小さな倉庫をギャラリーとしてオープンします。

このSouko Galleryは個展限定。
1日~3日生徒に貸し出します。

個展限定なのは、グループだとこだわりを消しあってしまうのと、『個展』というなにをしてもよい場を提供するため。
また、Souko Galleryすごく小さいので、思いつき程度でも展示ができます。

すでに数人の予約。
やはり美術部の生徒が多いものの、鉄道写真を展示したいと息巻く科学部の生徒も。


そんなSouko Gallery、これからはじまります。


<中学生今日の一言>

うるさい男子にむかって、女子が叫んだ言葉
「お前、「私は貝になりたい」って言って黙ってろ!!」

ちょっとこのセンスが好きでした。

2011年1月9日日曜日

廊下アートセンター通信 転載 その2

『廊下アートセンター in とがび』 通信6 アートセンターの活動へ、そして放課後カメラ開始!

廊下アートセンターの住中です。

先週の廊下アートセンターについての報告です。

Souko Galleryでは最初の個展が開催されました。
「こだま まこ 展」
一年生ながら、自分のこれまで作ってきたものを、やさしく展示。
廊下アートセンターを訪れる生徒がみんな覗いていき、やはり女の子に人気でした。




落書きされることを前提とした落書き「Freedom paint」は、だいぶ描き重ねられ、良い感じになったので、マスターの独断により完成となりました。

廊下アートセンターをしながら、絵と描く中学生を眺めてて、「この絵は中学生の中ドロドロしたものが吐き出され、あまり気持ちの良い絵ではありませんが、こういう場もあってもいいのでは」と思うように。

それは、身体を伴う、何らかの表現を吐き出す場がないと、それがネットの世界などの匿名性の世界で吐き出すということになるのではということ。
ここでは、何を描くにも、自らが人の前で描かなくてはならず、そこには意味があるのではないのかなと、思いました。


単純におもしろかったのは、色々な絵や言葉は、さらに絵や言葉で重ねられたのに、
「早く運命の人に出会いたい」
この言葉の上には、何もも描き加えられなかった。


よって、この絵は「早く運命の人に出会いたい」というタイトルになりました。



廊下アートセンターは、最初の好奇心からくるブームが去り、落ち着く中でアートセンターとしての機能をしはじめました。

写真は、とがびに向けたガンプラを使用した作品のため、廊下アートセンターで作業する生徒たち。

また、落ち着いてきた廊下アートセンターを見て、いままで入ってこれなかった大人しい生徒たちが色々な相談を持ちかけてきてくれるように。

「伝統工芸、曲げわっぱを将来やりたいんです!」と言ってくる女子生徒や、小説を書きたい子、DJに興味がある子など、みんなまだモヤモヤしててすぐ行動に起こせるわけではなさそうだけど、面白い生徒が現れはじめました。




ほかにも、美術の課題のパステル画などの相談に来る生徒たちも来て、美術の先生へのサポートも行いはじめました。


写真は、入道雲について相談に来た生徒に、プロジェクターで雲を見せながら、雲と色について話してるところ。

この彼は、マンガ家になりたいらしく、放課後も来て、色々と絵の相談に乗ってます。



また、「Freedom paint」に代わるイベントとして「放課後カメラ」を開始!。

これは、デジタル一眼レフを貸出て、その中からマスターがセレクションしたものを壁にどんどん張っていきます。

ピンボケ、手ぶれ、なんでもありで、人間関係と、遊び心と、視点が現れる写真たち。
その中にはすごくグッとくるのも。


今後、壁を埋め尽くすまで、「放課後カメラ」続けてみようと思ってます。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



『廊下アートセンター in とがび』 通信7 視察とサインと短い話



廊下アートセンターの住中です。

先週の8日、WiCANなどを手がける千葉大学の神野先生が、大学の生徒を連れ廊下アートセンターに視察に来ていただきました。

この日は台風の接近で、生徒達は神野先生が来る前に下校していたので、残念ながら生徒たちの様子を見てはもらえませんでした。

ただ、怪我の功名ではないですが、ゆっくりお茶をしてもらいながら、廊下アートセンターについて話せて、去年のとがびで上映した映画も見てもらえました。

神野先生とみなさん、天候が悪い中、ありがとうございました。



------------------------------------------------

その翌日、校長先生が廊下アートセンターを訪れ、話をする中で、「戸倉上山田中学校の構造が複雑で、初めてきた人にわかりずらい」とのこと。

校長先生はサインを作りたいと言うので、アートセンターの仕事として、学校のサイン看板をつくることにしました。

画像はそのデザインです。
これだけ見てもわかりずらいと思うのですが、本当にこういう構造で、各部屋ごとに階段のある、やたら階段の多い変わった構造なんです。

今日、板を白く塗ったので、近日中に仕上る予定です。



------------------------------------------------
廊下アートセンターをやってきて、1/3を過ぎたところで今思うのは

「うーん、時間が短いなぁ」

ということ。

廊下アートセンターは、ゴールの形が決まって無いプロジェクトです。
日々、出会う生徒達と、その会話の中から「この生徒達と次に何をしよう?」と考え、悩んでています。

最初のブームが去り、常連もでき始めて、「さぁこの生徒達とどうしようか?」と考え始めると、今まで遠くから見ていた生徒達がやってきて、新しい関係と新しいドラマがおきる。で、その生徒と常連に関係ができる。うーん、面白い。


実は最初から、「少し短いかなぁ」とは思っていたものの、最近は「やば、すごく短い」と実感するように。


廊下アートセンターをカフェのように利用する女子達、カメラを楽しみにする男子、ただ居てずっと話す子。作品の相談に来る子。自作の小説を持ってくる子。




廊下アートセンター、今後どうなるかが、楽しみでもあり、自分でもさらにわからなくもなってきてます。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



『廊下アートセンター in とがび』 通信8  つばさ祭のアートセンター ライブして怒られる


つばさ祭の準備や、東京での活動で、更新が遅くなってしまいました。

東京・長野の往復に慣れた、というより景色に飽きてきている今日この頃、事故りそうで怖い廊下アートセンターの住中です。

日常的には、とがびに向けた活動は生徒がつばさ祭でテンパッていたため、ゆるくカフェとして機能してました。

部活や、つばさ祭の準備で疲れたり、受験勉強の前の一服として、廊下アートセンターをカフェとして使う生徒だち。

最近、「中学校に必要なのは、カフェだったんじやないか?」と思い始めてます。

この話はおいおいとして、今回は二日間あったつばさ祭(戸倉上山田中学校の文化祭)のアートセンターについて。

初日は平日だけあって、保護者の数も少なかったのですが、何組の保護者の方が廊下アートセンターでお茶をしてくれました。

話の中で、「保護者でここで月に一回とかカフェしたらおもしろいのに」などの声も。
具体的な話ではまったくないのですが、うれしい声でした。

二日目は写真の通り、去年の美術部卒業生たちが大挙して押しかけてくれました。
彼らは去年の自分のとがびの作品の映画作品に出演してくれた生徒達で、それいらいずっと交流があり、この日も来てくれました。




その中の男の子二人が「殿様ゲーム」を流行らせたいとのことで、公開「殿様ゲーム」開催。


ゲームとしては、最初に「第一回殿様ゲーム」と二人で叫んだ後、「あっぱれ」と早くいった方が殿様、もう一人が家来。

<ルール>
・殿様が手を上げて「あっぱれ」と言ったら、家来も手を上げて「あっぱれ」
・殿様が手を差し出して「よきにはからえ」と言ったら、家来は土下座して「ありがたき幸せ」という。

この二つのどちらかを殿様が言い、家来が反応する。速いペースでつづけて、どちらかがどもったり、ポーズを間違えたら負け。

廊下アートセンター内に、響く声。
『あっぱれ』「あっぱれ」、『あっぱれ』「あっぱれ」、『よきにはからえ』「ありがたき幸せ」、『よきにはからえ』「ありがたき幸せ」、『あっぱれ』「あっぱれ」・・・・・。

やるより見てるほうが楽しそうなゲームだった。


・桃蓮華鏡ライブ開催


桃蓮華鏡もまた去年の卒業生。
以前来た時に、母校のつばさ祭でライブをしたいとのことだったので、中平先生と話したところ、廊下アートセンター内ならいいんじゃないかとの話に。

それでつばさ祭二日目に廊下アートセンターにてライブを開催。
朝のミニライブは盛況、もっとやろうということに。

自分がスピーカーとマイクを車に持っていたので、それをセッティング、よりいい音でのライブを午後にやることに。

しかし、このスピーカーとマイクが失敗でした。

三曲目が中ごろ、先生二人が飛んできて、すぐ中止しろとの声。
正式な許可をとってなかったのと、音がうるさいとのこと。

こういうのは「とがびでやってください」とのこと。
「はい、申しわけありませんでした。」と自分。

後で聞くと、どうやら先生方にはカラオケをしていたと思われたらしい。
けど、それとは関係なく、迷惑をかけたことは確かなので、ライブはすぐ中止して、謝罪に行きました。



ライブは中断してしまって、桃蓮華鏡にも悪いことをしました。

しかし、桃蓮華鏡はとがびで一部屋使用して本格的にライブをするので、ぜひそちらを聞きにきてください。


オフィシャルブログ
このオフィシャルブログから、昨年のとがびで自分が作成した桃蓮華鏡ドキュメンタリーもごらんになれます。




廊下アートセンター。
初めてのことなので、今だに日々悩みながら、手探りでやっています。

後10日前後、最終的にどうなるのか。




<中学生最近のたくさんの言葉>

「マスター、いつもの」
「マスター、席予約しといて」
「マスター、部活終わったらくるから、作っといて」
「ねぇ、聞いてマスター。」
「マスターって、今フリー?」

先生でないし、お茶だしてるから「マスター」
戸倉上山田中学校の一部の生徒は、「マスター」と言い慣れすぎてきています。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



『廊下アートセンター in とがび』 通信9  【最終回】 廊下アートセンターを終えて


とがび、さくらび共に無事終わり、みなさんお疲れ様でした。
廊下アートセンターの住中です。


廊下アートセンター通信ですが、前回の通信はつばさ祭の時で止まり、それから更新もとがび当日の報告もしないまま、廊下アートセンターが終わってから二週間たってしまいました。
読んでくださっている方々申し訳ありませんでした。


まず、報告として、前回の廊下アートセンター通信から、とがびまでの最後の二週間は、どがびのための準備活動でてんてこ舞いでした。
生徒のアニメーション作品の編集、美術部三年生の映像の編集、ギャルチームの写真加工、美術部OBの百物語、もなこさいとの写真印刷、機材設営などなど。


廊下アートセンターは、カフェ機能は機能していたのですが、本来のとがびのための準備センターとして、大忙し。
写真は準備風景のいくつかです。




とがび前三日は映像編集で連日ほぼ徹夜。
朝まで編集して学校に向かってました。

とがび前日も旅館の部屋で徹夜の編集でした。

ただ、日常的なカフェ部分は安定して、常連が訪れてはいつものように語ったり、廊下アートセンターを大好きな生徒たちは、終わることを惜しみながら日々が過ぎていきました。




とがび当日は、廊下アートセンターは、どういう風に廊下アートセンターが日常を行ってたかを、体験してもらうために、いつもどおりのカフェ運営。

展示としては、放課後カメラの写真を壁面全体に展示したのと、SOUKO GALLEYで生徒の個展、昼休み映画館のリクエストなどを行いました。

当日は、沢山の方々に訪れてもらい、色々な話をしました。
また、とがびに参加している仮装した生徒たちの休憩の場ともなってました。




振り返って、学校にアートセンターをつくるとはどういうものだったのか。
まだ、明確な言葉になってないことは多いのですが、今思っているのは、

・学校の中に特定の機能がない場をつくること。
・思いつきでも実現する可能性のある場と、何が起きるにしても、協力・示唆する人がいる場をつくること。
・学校と家庭とはまた違う、あいまいな空間をつくること。
・先生・親と違う、第三者の大人とのコミュニケーションの場をつくること。

だったのではないかと思っています。


特定の機能がないというのは、教室は授業をする所、理科室は理科の授業をする所など、学校は機能の集まりだと思います。
安らぐ場となりやすい保健室でさえ、やはり救護活動がメインです。

そんな中、学校教育の機能に関連しない場をつくり、また、そこに特定の役割のない人が居るということが、廊下アートセンターだったのではと思っています。

今回廊下アートセンターでは、「フリーダムアート」、「SOUKOGALLEY」、「放課後カメラ」、「昼休み映画館」などの企画が生まれました。
自分が企画したのもあるけど、生徒との会話から生まれたものや、生徒を眺めていて企画したものが多数ありました。

ただ、一か月と少し廊下アートセンターをやってみて、ようやく各個人個人の生徒が廊下アートセンターに求めているものや、常連の生徒のこだわりや、個性が見えてきて、ここから後一カ月あれば、それぞれの生徒に応じた廊下アートセンターとしての活動にとり組めたと思います。


とがびに参加する生徒(表現をする意思を表してるの生徒)を手伝うことは出来たのですが、表現の仕方がわからずにモヤモヤしている生徒にたいして、なんらかの表現活動へのサポートは今回ではあまり出来ませんでした。
何人かには、カメラやカフェを通じた自己表現の仕方は伝えられたと思っていますが、もう少し個々に対応したアクションを行いたかったです。


実施前は、長いかと思ってた一カ月とちょっとですが、終わってみると、もっと長い時間をかけて(100日程度)廊下アートセンターに取組みたかったです。







また、廊下アートセンターのカフェを通じて強く感じたことは、


・学校に必要なのはカフェかもしれない
・先生が忙しすぎる

単純に、あたたかいお茶をいい空間で飲んでホっとする生徒達。
放課後、一杯飲んで受験勉強に向かう生徒や、お茶しながら談笑の場とする女生徒達。
また、部活のストレスを発散しにまるで飲み屋のようにお茶を飲みにくる生徒達。
常連同士の学年を超えてだんだん顔が通じていく風景。


一杯のお茶を飲んで、すっきりした表情の生徒を毎日見ていて、

「学校に必要なのはカフェかもしれない」と思うようになりました。


また、生徒は『マスター』という『先生』とはズレた位置にいる大人の存在がいることで、『生徒』⇔『先生』という構造にいない存在を楽しんでいたように思えます。
軽口を言いつづけながらも、お茶を飲みにくるツンデレな生徒は、その「軽口をたたくこと」+「お茶の効果」でストレスを解消していたようです。


そういう意味でマスターの居るカフェというのは、学校の中に存在して良いのではと。
現実的には、カウンセラーが、マスターとしてお茶を出しながらいるのがいいのではと思ってます。



また、部外者として中学校に二カ月近くいたからこそ強く感じたのは、先生は忙しすぎるなぁ、ということ。

先生として授業で教えるということと、生徒へ本気で接したいという気持ちの両面あるのですが、忙しさのせいで、後半が難しくなっているように感じました。
廊下アートセンターに来た先生たちには、カフェみたいなことを自分もしたいという風な発言をする先生もいましたし、こういう場が学校にもっとあってもいいとも言っている先生もいました。
そういう先生の気持ちを行動に起こすには、先生たちには時間がなさすぎると。
今でさえプライベートを削って生徒と対応しているのに、それ以上のアクションは現状では難しいと思いました。

単純に「先生の数を二倍にすべきだ~」と強く世の中に言いたくなりました。




廊下アートセンター、終わってみると、出来たこと、出来なかったこと、沢山ありました。
自分が出来なかったことは、中平先生や、生徒達が色々やってくれると期待しています。
すでに、新しい活動も始まっているみたいで、とてもうれしいです。


最後に、いつも昼休憩や放課後に来てくれた生徒達、放課後に来て手伝ってくれたOBの生徒達、協力してくださった先生方、実際に廊下アートセンターを見に来てくれた保護者の方々、そして、廊下アートセンター実現に尽力をそそいで下さった中平先生、本当にありがとうごさいした。




<中学生の終わって一言>

「普通の学校に戻っちゃった。」という生徒の言葉がリアルでした。

 ―とがびが終わって、中平先生から来たメールより抜粋。



 祭りや、楽しいことは必ず終わるけど、

 終わるからこそ、楽しい間に目いっぱい楽しんで、

 終わるからこそ、また始めましょう。

2010年8月17日火曜日

廊下アートセンター in とがび


今、長野の戸倉上山田中学校で、廊下にアートセンターというプロジェクトをやってます。

「廊下アートセンター」は、生徒にとって日常である学校の廊下の片隅にアートセンターをつくります。
そこは、アートを展示するような場ではなく、生徒のモヤモヤを何かの形にするために、コミュニケーションするためのスペースです。
住中が平日の朝から放課後まで滞在し、カフェのような空間で、紅茶やコーヒーを出しながら、生徒のモヤモヤを具現化するための相談に乗ります。


一般的に、生徒が何か自分で作りたいと思っても、段ボールや紙粘土という自分の持っている技術で作ろうとします。
実は、それよりも自分の心の中のイメージに近いもっと良いやり方があるはずです。
廊下アートセンターでは、そこに向かうために住中がサポートします。


この廊下アートセンターの構想の元になったのは、昨年度の中平先生の面白い研究授業でした。

それは、アーティストと美大生が中学生の作品の相談にのるところを他校の美術の先生に見てもらうという研究授業でした。
そこで秀逸だったのは、制作を手伝うのでなく、作品プラン出しの段階で相談するという所でした。

自分の担当した生徒の一人に、
「甘いものと友達が好きなんで、ケーキを紙粘土でつくって、その中に三年間の友達との思い出の写真が入ってるような作品をつくりたい」
という生徒がいました。

その子との話をしていく中で気付いたのは、造形に対してのこだわりよりも、ケーキと友達が大切なんだということでした。

そこで自分は、
「なら、ケーキは紙粘土でなくて、本当のケーキをつくって、友達との写真でデコレーションしたらどうかな。
で、その友達とケーキを食べるティーパーティしたらどう?」
そのアドバイスに「それならもっと楽しいかも!」と目を輝かせてました。

この時は一時間の授業で、他にも担当の生徒がいたのでそれ以上具体的な話はできませんでした。
しかし、もっとその子と話をして、実際に一緒に手を動かしたりして、その心にあるものを具現化する手助けが出来たらと思いました。
この時の経験が、今回の廊下アートセンターの構想の元になってます。

「廊下アートセンターinとがび」は二学期の始業式(8月18日)~とがび※(10月10日に行われる中学校を美術館にするイベント)までの平日オープンし、滞在しながら色々なアクションを起こしていきたいと思っています。


※とがび
とがびとは、キッズ学芸員とともに学校を美術館にする「ながのアートプロジェクト」の参加校の一つ、戸倉上山田中学校で行われるイベント

2010年7月19日月曜日

青森 アート紀行2010 その3

青森市のアート関係の泊まりはホテル山上で。
駅近く、MAC(Midori Art Center)も隣接してます。

朝一で、空間実験室へ。
全国的に有名な空間実験室。三年前に来た時からはす向かいに移動。

色々と興味深い空間実験室だけど、なにより面白いのは、絶えず空間が変わり続けていること。
さすが、建築家が関わっているいる空間だけあり、一度完成させたのに、一階と二階を入れ替えたり、天窓が欲しいと思ったら、

天井を壊してつくったり。

未だに変化しているから、今、もし自分が初めて関わったとしても、「何かここに関われるのでは」という気にさせる。
出来上がりすぎた空間は、利用法が限定されていき、活動も限定していく。
そんなことを考えさせられる、すばらしい場所だった。


その後は、tecoのみなさんのアテンドで旅をしめくくった。
tecoの方々、本当にありがとうございました。


まず、青森市の旧王余魚沢小学校を訪問。
ここは去年、映像のワークショップを行った場所。
とてもなつかしい。
山間部の学校という場の活用仕方が面白い。
廃校に事務所というだけでなく、個人的な楽しみの視点を含んだ廃校利用とプログラムがおもしろい。
願わくば長く続いてほしいものだ。



その後、八戸へ。
八戸は今「はっち」という施設を建設中
そのはっちオープンに向けての企画『八戸の棚 REMIX!!!!!!!!』(構想/演出:アサダワタル)を見に行く。


いやー、八戸の棚は青森の旅の中で、個人的に一番感動した。
アサダワタルのプロジェクトの構築の仕方がすばらしい!!


空き店舗のスペースを利用した八戸の棚。
まず、入口にスーパーファミコン!!
「マリオカート」「ぷよぷよ」などを自由に遊べるようにしている。
その横には、地元の古い写真が沢山。



この入口の配置の仕方には感動した。
若者から、地域のお年寄りまで、まず、足を止めてしまう。
なのに、覗き込む中の空間は、家具がおもしろく積み上げられカオスな状態。
この入口はわかりやすいのに、中はカオス。

中の空間では日々、色々なイベントをしているらしい。
トークショーや料理教室、ワークショップ。
その空間も八戸市内で放出された廃家具を集めて空間構成している。

料理教室の仕方も面白い。
料理教室と言ってはいるが、普通の料理教室のように決まった手順を教えるのでない。
まず、自由に買い出しにいくところから始めて、その後の料理教室は集まった人とモノで変化していく。


アサダワタルの企画のすばらしいなーって所は、「入口」はわかりやすく作るのに、「中」はカオスでフリーダム。
生まれる結果は「未定」な所だと思った。

空間の作りもそう、訪れる人もそう、料理教室もそう。
プロジェクトの始まりもそうで、八戸市内でいらない家具を集める所から始めている。これは市民にとって協力しやすい。
大抵、こういう企画は、空き店舗に知らない人がいきなり居て、周りから訳がわからない状態に普通なるのに、この家具集めで、有る程度のコミニュケーションをとることができている。


また、特にすごいと思ったのは「中」の部分に美術の匂いをかなり排除していることかと。
空間が良い例なんだが、ほとんどペインティングなどをしてなかった。
そういうのがあることで、美術の雰囲気が好きな人は集まるが、そうでない人から敬遠されてしまう可能性がある。

あの棚の空間は、空間の配置や構成は考えられているけど、美術色を感じなかった。
中に入るとアングラな感じは漂うが、目的が見えない。
だから、何かモヤモヤした人には、何かしなくなると思う。


こういう目的のない空間が街の中にあることは、とても素晴らしいし、これこそパブリックなアートプロジェクトだと自分は思う。

この空間がこのまま後数年あれば、ここから新しい何かの文化が、きっと生まれていく。
何かをここで初めたり、体験した人が街に出ていき、何かを起こす可能性は高い。
それは、大都市では難しい、個人から生み出される文化となっていき、八戸の新しい価値になるかもしれない。

しかし、はっちが完成すると、このスペースは消えるらしい。
それが、ものすごく残念。

短期的で明確な結果を目指さないスペースは、長期的かつこのまま自由な感じで残る必要があると思う。
そうしてこそ、市民の間に生まれるドラマがあり、それはこれまでの祭りなどの文化からは生まれないものだろう。

出来るならば、「はっちと市民の関係づくり」という短期的な視点だけで終わらないことを強く願う。


ホテル山上

Midori Art Center (MAC) @ hotel YAMAGAMI

空間実験室

teco

はっち

八戸の棚 REMIX!!!!!!!!

アサダワタル

青森 アート紀行2010 その2 


十和田の後に行った、国際芸術センター青森のNadegata Instant Partyの24時間は、十和田とは真逆で、色々つっこみどころや、疑問点はあるもののすごい面白かった。
もう現場ではドタバタ、「こんなのアートじゃない!」と、ある特定の人達は怒りだすだろう。まったくをもってアートとして安心・安全じゃない。

それにしても、100人の市民や学生のスタッフで、短い期間であれほどのInstantなPartyをしてしまうのは素晴らしかった。
現場にいなければわからない、あの高揚感、緊張感、とそこに生まれる様々なドラマ。
なにげなく過ごせる24時間を高密度なお祭り空間にしてしまう力は、さすがNadegata。


ただ、見てて幾つかもったいない感じがする所も。

まず、現場はとても面白く、24時間という時間による空気の変化などとても興味深いのだけど、番組の内容があまり面白くない。
出たてのシュール系芸人の番組みたい、内輪受けネタも多いかな。。。

生放送のビュー数が最大200前後ということは、Nadegataとスタッフの友人だけで達する数。
「アーティストが24時間テレビをしてて、めちゃくちゃ凄いから見てみろ」という口コミがその瞬間に世間に回らなかったのが、その証明ともいえる。もし、内容が凄ければ、口コミで2000くらいはいっただろう。

15才の少女が自宅を垂れ流すだけで、500人が夜通し見るような時代※だし。アーティストがustをつかって24時間するならこんなに凄いってのを見たかった。


白い空間で子供に絵の具を渡してほったらかしにする番組や、Nadegata Instant Partyがただしゃべる居酒屋CKなどは面白かった

が、後は決まった内容をこなしている感じだった。
そういう意味で、24時間のライブな番組というより、24時間のアドリブ多数な演劇だったような気がする。

もちろん、Nadegata Instant Partyが番組というソフトの部分をプロジェクトのキモにしていないのだろうし、それがNadegata Instant Partyだと思っててそこは好きだ。だから、わざわざ遠い青森まで行って現場を見に行ったのだから。
だけど、今までのライブで行うイベント型と違い、生で全世界に放映するという以上、番組として存在してしまうし、現場で生まれるドタバタした価値観そのものを番組にして欲しかったかな。


市民や学生の動きによる様々なドラマはカメラの後ろ側や、その周辺で起きていた。
それらのドラマは、今行っている展示や、書籍などで、外に伝えるんだと思う。

でも、どうせustという媒体を使うのであれば、別のustのページに、ドキュメンタリーチームによって、裏側も24時間垂れ流しても良かったのでないか。
そうすることで、複合的な24時間になったのになぁと、現場にいてとても面白かっただけに、本当にもったいなかった。

会場では終わった瞬間、スタッフがほぼ泣き出してるなか、疲れた顔のNadegata Instant Party。
今回のプロジェクトはNadegata Instant Partyの今までのプロジェクトの集大成なんしやないのかな。
ここまで、大がかりなInstant Partyをしてしまうと、今後同じようなInstant Partyはし辛いだろう。
Nadegataがこれから何をするか、とても期待してしまう。




最後に、現場にいたアーティスト藤井光の言葉が素敵。

『音楽が一番の犯罪者だね』

スタッフが泣くのも、全体に流れる一体感も、テーマソングとダンスのパワーと言えるかも。

今でも「三角、三角~」っていう歌が頭にこびりついて離れない。



Nadegata Instant Party
http://nadegata.exblog.jp/



国際芸術センター青森
http://www.acac-aomori.jp/



※1 15歳の生ユースト
http://www.ustream.tv/channel/yu-suto

青森 アート紀行2010 その1 


先日出かけた青森4泊5日、車中1泊、徹夜イベントのハードなアートツアー。
色々と考えさせられる旅だった。

青森のアートにまつわる色々はとても面白い。
三年前に怒涛のアート商店街で行った時からそう思っていたが、この旅で思いは強くなった。
今回、回ったのは、十和田市現代美術館、国際芸術センター青森、空間実験室、王余魚沢、八戸のはっちにまつわるスペース。
スペースもだけど、青森は人が面白い。

十和田市現代美術館は、今っぽい美術館。
常設展示は感覚的な現代美術を揃え、時が経っても見れるものとして考えられている気がした。
しかし、パブリックな部分に関しては、もったいないなーって感じ。

広い遊歩道、美しい並木道は素晴らしかったけど、そにあるパブリックアートは今がもっとも良い状態で、この後、時間とともに

薄汚れてダメになっていくような気が。

最近思うのだが、出来た瞬間が100だとして、時とともにその価値が減っていくようなパブリックアートはいかがなものかと。
せっかく、誰もが触れる公共の場にあるのなら、その後その場で市民を巻き込んだドラマが起きるようなアートを置いてもよかっ

たのではないかなぁ。
出来た瞬間は価値が10だとして、その後、色んな人の手によって価値が100や200になっていくような。

あの広い遊歩道と美しい並木道には、アートじゃなく、ステンレスの椅子とテーブルを100組くい用意して、市民が使いたいとい

った場合に無料で貸し出すくらいでいいと思った。

施設は広すぎず程よいサイズで良い施設だっただけに、パブリックな部分のアートはアートとして安心・安全。
7、80年代から変わってない気がして、もったいない感じだった。

十和田市現代美術館
http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/

2009年4月11日土曜日

商店街



アートについてばかりであれなので、商店街の話
色々な所で商店街に関わってきたけど、沖縄の銀天街でがんばっている林くん※1の話が、商店街に対する存在価値を変える見方を持っていてとても興味深かった。
「商店街はアーティストの集まりなんだよ。」とのこと。

「銀天街のあの薬局は、たしかに薬や化粧品とか売っているけど、いつもそこに愚痴というか世間話をしに行く人たちがいる。あそこはただ安い薬を売るドラックストアとは違い、カウンセラーの役割も果たしている。あの肉屋さんも子どもと話したり、見守ってたりしてその目の前で遊ぶ子供たちにとって児童館的な役割も持っている。」

「ショッピングモールなどのチェーン店のパートの人が機械的に業務をこなしているのと違って、商店街ってのは、店主が個人的な意図をもってやっているから、様々な要素や価値を持っているんだ。」

この話を聞いて、コストダウン図って量販化した安さに魅かれて、そっちに買い物をするようになったけど、そこでそれまで買い物という行為の中にあった人間と人間の関係から生まれる様々なモノを失った気がする。
商店街での立ち話などで愚痴を言えない人がカウンセラーにかかり、お店の看板娘に対してダジャレを言えない人がキャバクラに通い、子供は外で遊ぶと危ないと感じながら、ゲームばかりするなという矛盾する親も現れる。

結果、単品の商品のコストダウンはできたものの、他にコストがかかる構造になってしまったのではないのかな。


ただ、過去からある商店街がすべて完全で正しいなどと、言うつもりはまったくないです。開店時間の短さや、後継ぎの問題など問題は山づみだけど、ショッピングモールや、チェーン店に対し、商店街ならば、個店個店が店主の感覚で時代に合わせて変化できて、独自の価値に対して工夫もし易いと思う。しかし、かなりの工夫は必要だとは思う。
というのもチェーン店などは、コストダウンや集客に専門の人を置いて、それぞれ工夫を本気でしているのだから。


昨今、デパートが潰れそうで、商店街を潰してきたショッピングモールも売り上げがぼちぼちの中、アウトレットモールが売上を上げているらしい。
しかし売りが安さしかないアウトレットモールも、供給過多になれば価値を失うし、違う安い形態のビジネスが現れれば、ゴーストタウンなるのではないか。※2

盛者必衰とまで言わないが、時代の変化の速さに対して、変化していけなくなると後は衰えていくだけではないのか。
巨大店舗は新陳代謝がしにくいし、維持していくだけで大変である。郊外の巨大店舗は、郊外の地域文化をぶち壊しながら、その結果の過疎になり、人口減による売り上げ減となっていくのではないか。

そういう意味で、これから変化するシステムの中、商店街的な小回りの利くシステムの方が有利である。
しかし、この場合の必須条件は、そのお店が時代に合わせ変化しようとする個店個店のそれぞれのオリジナリティのある努力が必要である。※3

※1スタジオ解放区の林僚児と銀天街
彼らの活動はまさにリレーショナルアート。長い時間をかけ、銀天街の人たちと色々なコトを興している。ただ、ネットで個別のイベント見ても面白みは伝わらない気がする。

→スタジオ解放区
→コザの八百屋の独り言

※2余談だけど、六本木ヒルズも、ヒルズ族のブームも終わり、ミッドタウンが現れて悲しい空気だが、また新しいスポットができたらミッドタウンも悲しくなるだろう。
いずれヒルズやミッドタウンの店舗に空きが目立つようになり、マクドナルドとダイソーと吉野家が入って欲しいと思っている。

※3近年、デパートの中に料理教室や、ショッピングモールの中に図画工作教室があったりと、巨大店舗の方がなりふり構わぬ展開をみせている。